昨夜帰宅途中にコンビニに寄った時に、「岡部引退!!」という記事が目に入った。
日本競馬において数々の功績をあげた岡部騎手。56歳の3月10日、鞭を置くことになった。
‘YAHOO!News’にアップされた読売新聞の記事を下に書きます。
競馬の世界を僕が知ったのは大学生のとき。そのときには武豊騎手と岡部騎手の名前は知っていました。
56歳まで騎手というハードな仕事をした岡部騎手には尊敬の念を抱かずにはいられません。
特に2002年の12月から体調不良のために休養生活に入り、その間動かない体や怪我に悩まされたらしく、ファンとしても「復帰できるのだろうか」と心配になりましたが、リハビリ生活などを克服して2004年1月に復帰。50代の人にできることなのだろうか、と驚きました。
2月に入って「寒さから体が動かないため」しばらくの休養をとる、と発表があったとき、また復帰されるのだろうと思ったのですが、突然の引退発表。
多分残念に思っている人は僕だけではないでしょうが、とりあえず今は「おつかれさまです」の気持ちでいっぱいです。
日本競馬において数々の功績をあげた岡部騎手。56歳の3月10日、鞭を置くことになった。
‘YAHOO!News’にアップされた読売新聞の記事を下に書きます。
日本中央競馬会(JRA)の最多勝記録、2943勝を挙げた岡部幸雄騎手(56)=美浦・フリー=は10日、都内のJRA六本木事務所で引退会見、「本日付けをもって、引退届けを提出してきました」とあいさつした。
いつも通りの淡々とした口調で、時折笑顔を見せながら、38年間の騎手生活を振り返った。
――引退を決意した時期と、その理由は。
「2月19日の騎乗で全然体が動かず、イメージしたことができなかった。『もし明日も同じなら、もう辞めよう』と思って翌日騎乗したが、やっぱり変わらなかったので決断した」
――3000勝目前など、達成間近の記録もあるが、やり残したことは。
「全く悔いはない。何回も色々な馬で挑戦しての結果だから」
――騎手生活で最も楽しかったことは。
「38年間レースに乗れたことが一番うれしい」
――長く現役を続けることができたのはなぜか。
「自然体で無理をせず、自分のできることだけをやってきたから」
――今後の予定は。
「少し競馬を離れ、自由な時間を楽しみたい。両親も高齢なので、面倒をみてあげたい」
――思い出の馬は。
「三冠馬のシンボリルドルフは忘れない。タイキシャトルで念願の海外G1を勝てたことも生涯の思い出」
――ベストレースは。
「あまりない。負けてばかりですから(笑)」
――目標、ライバルとした騎手は。
「時代ごとに変わってきた。『武君には負けたくない』と思ってきた」
――競馬の魅力とは。
「筋書きのないドラマで、同じレースは2つとないこと」
――馬とはどんな存在。
「馬がいたからこそ、自分の人生があった。『ありがとうございます』という気持ちです」
◆20日に引退セレモニー◆
岡部騎手の引退セレモニーは、20日の中山競馬最終レース後、パドックで行われる。また、同日に行われる予定だった「東風(こち)S」のレース名を「岡部幸雄騎手引退記念」と変更し、最終レースで実施することが決まった。
(読売新聞) - 3月10日19時42分更新
競馬の世界を僕が知ったのは大学生のとき。そのときには武豊騎手と岡部騎手の名前は知っていました。
56歳まで騎手というハードな仕事をした岡部騎手には尊敬の念を抱かずにはいられません。
特に2002年の12月から体調不良のために休養生活に入り、その間動かない体や怪我に悩まされたらしく、ファンとしても「復帰できるのだろうか」と心配になりましたが、リハビリ生活などを克服して2004年1月に復帰。50代の人にできることなのだろうか、と驚きました。
2月に入って「寒さから体が動かないため」しばらくの休養をとる、と発表があったとき、また復帰されるのだろうと思ったのですが、突然の引退発表。
多分残念に思っている人は僕だけではないでしょうが、とりあえず今は「おつかれさまです」の気持ちでいっぱいです。
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