僕は1990〜1993年までコスタリカという国に住んでいました。小学校の5年生になったときで、初めての海外が“お引越し”だったのです。父の仕事柄、引越しには慣れてましたが、まさか海外まで行くとは・・・。

コスタリカという国を聞いたこともない人も多いでしょう。聞いてても場所を知らない人もいるでしょう。
コスタリカは、中央アメリカにあります。北緯10度くらいで、パナマ運河で有名なパナマのひとつ北にある国です。大きさは四国と九州をあわせたくらい(だそうです)。
住んでいたのは首都サンホセ。標高1200メートルくらいの盆地にある都市でした。車で2時間、一山越えれば暑い海、って感じでしたよ。

10〜13才という多感な時期に日本を離れたということは、今の自分を形成する上で大きな時期だったと今でも思います。
僕の第一印象は、
“落ち着いている”
とか、
“実年齢以上に見える”
だそうです。実際顔も老けてるんでしょうが・・・。
でもその印象もきっとコスタリカにいたときの経験が元になってるんじゃないかな。
学校は日本人学校に通っていたため、日本と同じように教育は受けられました(その代わり、公用語であるスペイン語を覚えなかったのは今でも後悔しています)。
ただ、ファミコンだのパソコンだので遊ぶのではなく、自然いっぱいの中で走り回ったり、日本と違う文化に触れていたというのは、やはり日本で育った人とは違うのでしょう。

違う文化に触れていたということはとても“感動”の多いことでした。
今でも思い出す一番の感動は“自然”。どこにでも緑はあるし、ちょっと車で行けば海に着くし、日本では見られない動物や鳥たち、猛毒を持つという蛇やかえるまで見ることができました。
現地の人たちとも触れ合う機会もたくさんあったし、少しですが友達もできました。
他にもあげればキリがないほどの“良い経験”、そして“感動”をしましたよ(いずれまた書きます)。

最近の日本では変な事件、特に中学生くらいの事件がもう何年も続いています。
“良い経験”“感動”をしてないんじゃないかな、と思います。
僕が中学生のときに日本に帰ってきて、少しいじめられたことがあります。ただでさえ変わり者(?)ってのもあるでしょうが、異質だったらしいです。でも僕にとって彼らが言うことはどうしてもガキくさくて。
だから大概のことは何言われても平気で、そのうちそのプチいじめもなくなりました。

最近の日本人には“良い経験”“感動”をする機会が必要なんでしょうね。
僕のダンスを見た人が“感動”し、“良い経験”ができた、と思ってもらえるように頑張らなければ、と思います。

(Part2 はいつか書きます・・・。お楽しみに!)